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スポーツ私史

2011.02.08 22:50|スポーツ
今日はネタがないので、昔書いた雑文(長文です)を載せます。
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リレー随筆;私が走り始めた頃「スポーツ私史」(1997年7月記)

カカア殿下とカラッ風は下野の国、八木節や足利学校で知られる足利市で、私は生まれ育った。18歳にして故郷を後にするまで、スポーツの類はからっきし意気地がなかった。小中学校の運動会・徒競走では、3位以内に入賞した覚えもなく、高校の持久走大会にいたっては300人中なんと270番位、体力テストでは懸垂ゼロ回といった案配で、情けない話だが、ミジメでユーウツな想い出しか浮かんで来ない。運動音痴・体育嫌い・ウドの大木…。いわば、私のスポーツ夜明け前・暗黒時代だった。

受験時代には何故か某大学のボート部に憧れていたが、念願叶わず第2志望で入った所で、ひょんなことから「バーベルクラブ」と称するボディビル同好会に入ることになった。あまり運動神経を必要とせずに、かっこいいスポーツマンの仲間入りができて、夏海に行ったときなどには少しは優越感が味わえるのではという他愛もない思いから、バーベルという冷たい鉄の塊を握ることになった。生まれて初めての東京での一人暮らしは、それまでの自分に訣別を告げるべく、汗臭くむくつけきオトコの世界に飛び込むことから始まった。いよいよ私のスポーツ開幕の時が来た。

練習はきつかった。ウエイトトレーニングはいうに及ばず、体中の筋肉がパンパンに張りきった後での、サーキットトレーニングとランニングは極めつけだった。クラブの性格からして、そんなに走るとは思っていなかったのだが、普段でも2~3Km、時には5~10Km程度のランが、いつもフィニッシュに付いていて、いつもヒーヒーあごを出しながらも、「ファイト・ファイト…」の掛け声の下キャンパス周辺を走っていた。大学時代のランニングで最も強烈に脳裏に焼き付いているのは、夏合宿の中日に行われる山中湖一周である。疲れのピークに行われる、真夏の炎天下の長距離走(春日部市内牧コース程度で今でこそどうということはないが、当時はこれがとてつもない長さだった)は、悪夢以外のなにものでなかった。とにかく、走ることは苦しいばかりで、楽しいという思いはついぞなかった。

軽い気持ちで入り込んだ世界だったが、自分の肉体に顕著な変化が現れるにつれて、意識の方も徐々に変わっていく。体重は75Kg→60Kg→80Kgと大変動、胸囲=胴囲から胸囲-胴囲=40㎝へと拡大、我ながらびっくりするような変身を遂げ、肉体美を求めて練習に没頭するようになる。上級生になる頃にはそれなりのレベルにも達し、パワコン(Power Contest)とボデコン(Body-Building Contest)にも出場するようになった。ただ、ろくな器具のなかった当時、下半身を鍛える練習といえば、Squatくらいしかなく、それがとうとう最後まで好きになれず、パワコンでは Bench Press:Squat=100:150位が普通なのだが、私のベスト記録は125Kg:145Kg程度とひどくアンバランスなもの。またボデコンでも、下半身の相対的なひ弱さから、関東学生大会で入賞に今一歩及ばずの11位がベストと、大成せずに終わってしまった(あー、あの時浅川さん並みの足があったら…)。それでも不思議なもので、体力・肉体に自信が付いてみると、それなりに人間としても、オトコとしても一皮剥けたような気になれたものだった。また、この4年間スポーツにどっぷり浸かったことは、基礎体力が身に付いたという点と、スポーツが病みつきになったという点で、やはりその後の大きな資産になった。<熱中時代>

就職して1年間を過ごした九州では、体力を買われて漸く憧れのオールを握った。この時は、仕事が引けるや貯水池に駆けつけては、学生時代よりも走らされながら、暗くなるまで奴隷船のようなナックルフォーを漕いだ。東京に舞い戻ってきてからも、ジムに通ったり、自分で買った器具で練習したり、週末には戸田で走ったり、漕いだりした。時間も意欲も学生時代とは比ぶべくもないが、やはり一度できた肉体の鎧が衰えるにはいささか抵抗があったし、スポーツで汗を流す快感が忘れられず、縁が切れなかった。結婚してから40代に到るまでも、ウエイトトレーニングとランニングは、途切れそうで途切れずに、細々と続いたが、仕事・酒・煙草・麻雀・子育ての日々の中で、気が向いたらやるようでは、質量共にジリ貧の一途をたどるしかなかった。<中弛み時代>

40代という人生の峠にさしかかり、健康・体力を改めて考えなければということで、練習量を増やそうと悪あがきしてみるも、どちらもいかんせんひとりで黙々とやるストイックなスポーツなだけに、よほど強い意志がなければ続かない。そんなとき新しい刺激を求めて、92年の市民ロードレース(5Km)に初めて出場してみたところが、なんと頭髪の薄い人とグレイの自分よりも年長者が、1・2位になっているのを見て度肝を抜かされる。そして彼等の胸には赤々と「春日部陸友会」とあった(いまさら誰のことか解説は要るまい)。人並み以上の体力はあると自負していただけに、刺激どころかショックを受けてしまう。その頃たまたま田村さんの奥さんと知り合った家内が、陸友会の話を聞いてきて、「それじゃあその内に…」と考えていると、早速新春ロードレース10Kmに出ないかとのお誘いを田村さんより戴く。「ビリにはならないから大丈夫」とヘンなそそのかされ方をされて出てみたところ、予言通りビリにこそならなかったものの、惨めなブービー(93/2/11-0:53)。そこで初めて陸友会の有志にお目にかかる。

その後日曜日の朝練に参加するようにはなったものの、あまりに格が違いすぎて、意気消沈するばかり。陸友会のレベルは、素人の新参者にとってはちょいと敷居が高過ぎて、家から大沼運動公園までの道のりがひどく長く感じられ、ついつい途中引き返そうと迷ったことも何度あったことか。それでも意を決して行けば、必ず誰かしら、私のような鈍足劣等生にペースを合わせて走ってくれるという優しさで迎えてくれる。あんたお呼びじゃないよというケーベツの眼差しにでもあったら、それこそひとたまりもなかったろうに、皆さんが励まし、うまくヨイショと乗せてくれるものだから、どうにかこうにかギブアップすることなく、続けられた。そして少しずつではあるが、練習のペースにもついていけるようになり、「ヨシ、いっちょやってみようか」という気になっていく。<再挑戦時代>

「継続は力なり」とはよくいったもので、それから約1年半後にはハーフが走れるようになり(93/11/28岩槻1:50)、続いてあの青梅に思いもよらぬ突如代走出馬(94/2/20-2:45)、今度はいつの日かフルを走ってみたいと夢が膨らみ、それがさらに1年後には実現(94/11/27筑波4:05)、ついには大胆不敵にもウルトラにも挑戦してみたいと、夢は果てしなくエスカレートしていき、昨年大方の予想を見事に裏切り完走してしまった(96/9/15八ヶ岳13:13)。こうして目標→練習→挑戦→達成→新たな目標というサイクルを繰り返している内に、忘れて久しい感激をその度に味わうことができた。陸友会の中ではいつまでもたっても、ブービーかブービーメーカーという貴重な役割を演じ続けているが、それでもこの年になっても練習の成果が記録の更新という形で報われるのは、心弾むものである。いまでは走ることにすっかりハマッてしまい、もはや生活の一部に組み込まれてしまっている。いずれは海外のレースにも参加してみたいという夢を抱いて、走り続けていきたい。<ぶり返し時代>
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(以下は2006年6月に上記に追記して、WBC-OB会報告に掲載されたもの)
上記の駄文は、自分が所属する走友会、春日部陸友会が以前出していた「なかま」というグループ誌に投稿したものですが、あれから早9年、その後も走り続けています。
遅咲きのランナーとして一時は随分レースにも出ましたが、フルで3時間半を切れずに、ピークアウトしてしまいました。
50代に入ってからはスピード・記録という面ではかなり落ちてきましたが、ウルトラマラソンは「年に一度の気力と体力の健康診断」と名付けて、継続しています。
ウルトラの世界は、他人や自己新というタイムとの競争ではなく、1日掛かりでゴールを目指す「旅」のようなものです。
また、「走力」というよりも、「総力」(内蔵も含めた総合体力+精神力)の勝負です。
私の場合、その点でバーベルクラブ時代に培った基礎体力が強みになっていると思います。
レースの3ヶ月くらい前から走り込みと筋トレに計画的に取り組んでいき、1ヶ月くらい前からはRocky-ⅣのBGMを聞いては、Combat Mindも高めていきます。
集中的にトレーニングをすることで、体重と体脂肪も絞り込め、身も心も締まります。
苦しい練習の貯金が完走によって報われた時の至福感は、えもいわれぬものがあります。
仕事でマレーシアへ行き始めた98年を除いて、過去9回出走、内8回制限時間内完走してきました。
今年は真夏の山登り、奥武蔵に再挑戦ですが、今秋から九州人になりますので、来年からは阿蘇や萩往還をメインに、せめて60歳までは続けていければと思っています。
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プロフィール

ブンガラヤ

Author:ブンガラヤ
海あり山あり田畑ありの自然豊かな田舎を第二の故郷として、半農半Xで、アンチエイジングの闘いをしています。
「年に一度の気力と体力の健康診断」として、ウルトラマラソンを走っています。戦歴;15勝5敗
道楽;野菜作り・川柳・蕎麦打ち
bungaraya;マレー語でハイビスカス

マラソン

糸島観にマラソン
2013年の予定
2月3日 糸島駅伝に志摩アスリートクラブ初参加
4月7日 さが桜マラソン(フル)
5月上旬 第6回志摩サンセットロードマラニック(50Km)
6月1日 阿蘇カルデラスーパーマラソン(100Km)
9月中旬 伊都国100Kmマラニック 
11月中旬 第4回糸島観にマラソン(30Km)

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